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「派遣村」成功に導いた新リーダー像AERA:2009年1月19日号
年の瀬の都心に突如現れた新しき村。合言葉は「日比谷で年末年始を生き抜く」。注目度抜群、カンパも集まった成功に、政界や労組など旧人類も相乗りした。(AERA編集部・常井健一、鈴木琢磨)
東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に到着した頃には夜10時をまわっていた。きっと「難民キャンプ」のように騒然としてるだろう−−。早稲田大学4年生の川津彰信さん(23)はそんな想像をしながら、三が日を過ごした帰省先から直接、友人と村に向かった。
はじめてのウンドウ。とはいえ、半ば覗き見気分だから、準備なんてしていない。防寒対策もせず、いつもの薄手のコートで乗り込んだ。寒かった。
「ボランティア受付」と書かれた看板を見つけ挨拶すると、いきなり指示が飛んだ。ひどい靴擦れのある「村民」のために、サンダルを買ってくるように、と。「ボランティア経験のない自分でも手伝いを頼まれて、誰かの役に立ってる。興奮しました」。屈託なく笑う。
食品関連会社から内定はもらった。でも本来志望していたテレビの仕事を目指したくて、留年することにした。結果、厳しい就職戦線と重なった。晴れない気持ちで迎えた正月。テレビ番組で見た「非日常」に、何か刺激がありそうかな程度で来たが、自分でも役に立てることがあるとわかって自信になった。
●学園祭のような雰囲気
翌日再び訪ねると、他にもフツーの学生ボランティアが数人。中にはヒールを履いた女子もいた。彼女らもテレビで知ってやってきていた。
厚生労働省は昨年末、昨年10月から今年3月までに全国で非正社員8万5千人が失業する見込みだと発表した。うち7割が派遣。派遣村が開設されたのはその発表の直後、大みそかというタイミングだった。
企業や官庁が休むこの時期、スポーツ以外のニュースは「冬枯れ」になる。派遣村は「派遣切り」の厳しさを象徴するニュースとして、連日テレビで報じられた。
日に日に「村民」の数は膨らんだ。公園内の歩道には炊き出しの列と誘導するボランティア、その間を詰めかけた報道陣と見学者が縫うように歩く。腹話術にインド舞踊と様々なパフォーマンスも登場し、どこか学園祭のような雰囲気を醸し出していた。
この雰囲気のせいか、それとも「明日はわが身」と共感した人が多かったせいか、集まったボランティアは約1700人。カンパは2300万円を超えた。
派遣村のホームページでは、「取材時の注意点」として撮影方法や取材対象を細かく規制している。プライバシーやトラブル回避のためだろう。必然的に取材は「派遣村村長」を務めたNPO法人役員の湯浅誠氏に集中した。
湯浅氏がパーカー姿で、官僚や政治家と折衝するたびに、取材陣は追っかける。派遣村の申し入れに理不尽な対応をすれば、お茶の間に即伝わった。湯浅氏はニュースだけでなく、格差や貧困をテーマにした年末年始の特集番組にも精力的に出演し、時の人になった。
●一流経営者で無香料
一見、学者然とした風貌。実際、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程で研究生活を送っていた。早くから「格差」という言葉に隠された貧困問題に着目。彼の書いた『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』は昨年、大佛次郎論壇賞を受賞した。学問的なアプローチだけでなく、貧困に苦しむ人たちと接し続けた現場感覚に裏打ちされた論文として高く評価された。
湯浅氏は、2001年に「自立生活サポートセンター・もやい」、07年に「反貧困ネットワーク」を設立。これまで1000人以上の生活保護申請に立ち会い、アパート入居時の連帯保証人をピーク時には300人も引き受けた。
元旦未明の討論番組「朝まで生テレビ!」で、湯浅氏と共演したドリームインキュベータ会長の堀紘一氏は印象をこう話す。
「派遣村をマスコミも霞が関も乗りやすいビークルとして見事に仕立て上げ、正しい世論形成を促した。湯浅君は一流経営者並みの状況認識力がある。空理空論を振りかざさず、『無香料』なんだ。いままでの左翼系運動家とは違うな」
●理念追求せず実務的
菅直人氏ら政治家が動いたとはいえ、厚労省は省内の講堂を宿泊場所として一時開放し、厚労相からは製造業への派遣を規制すべきとの見解を引き出した。同省は住居の確保や就職活動に必要な費用の支給にも前向きに回答した。
社会運動の潮流に詳しい毛利嘉孝東京芸術大准教授(文化研究)は派遣村の特徴を、「彼らの運動は当面の問題解決を目指すので目線が低く、極めて実務的。現実の変化は速いので、旧来の運動のように理念を追求するようなことはしない。同じ目的の個人が集まって仲間を増やしていく点も新しい。こうしたフリーターや派遣など非正規雇用労働者を中心とした運動は今後拡大するだろう」と指摘した上で、派遣村の成功要因として、やはり湯浅氏の「キャラ」を挙げた。(1)党派性へのアレルギーがある(2)暴力的な男臭さがない(3)隠すものがないからオープン(4)組織よりも運動の継続性(5)「仕切り屋」とは一線を画したリーダーシップ像がある。
こうした特徴は、90年代半ばに学生として、渋谷や新宿でホームレス支援に携わり、企業に就職せずフリーター的な生活をしながら、活動を続けてきたアクターたちに共通する。彼らが従来の労組や団体とは違う、オルタナティブな異議申し立ての担い手になっている、という。その一人が湯浅氏なのだ。
今回の派遣村には、湯浅氏は活動拠点の「もやい」とは別に個人で参加した。資金も100万円集めたという。
名を連ねた連合前会長の笹森清氏も、連合とは別に個人としての参加だった。
昨秋、連合では、湯浅氏らの「反貧困運動」への参加が三役会議の議題にあがり、否決された。だが、今回の派遣村には賛同した。各傘下の労組では依然として賛否が分かれており、カンパのみに留めた労組もある。
政治アナリストの伊藤惇夫氏は、こう話す。
「(正社員が中心の)連合内では従来から非正規労働者に対する取り組みが実現しにくかった。だが、トヨタ、キヤノンといった大企業が派遣切りを始め、正社員の首切りまで問題になろうとしているなかで取り組まざるを得なくなったということだろう。参加率が低下しつつある労組側が生き残るために存在感を示す必要にも迫られた」
●自民からも二人参加
派遣村には永田町も飛びついた。民主、共産、社民、国民新と野党幹部は、連日訪れた。
鈴木宗男衆院議員は、派遣村の存在を年末のテレビ報道で知り、4日に地元から東京に戻ると、作家の雨宮処凛さんと連絡を取り合い、日比谷公園で待ち合わせた。
公園内で開かれた集会で「村民」を前に雇用と宿泊所の確保について緊急の国会決議を提案すると、あっという間に野党共闘が固まったという。
翌日、派遣村の参加者と野党が開いた国会内での会合には、自民党からも大村秀章厚労副大臣と片山さつき衆院議員が駆けつけた。 片山氏は事務所に届いた告知のファクスを見て、出席を決めたという。野党中心の会合にもかかわらず出席した理由を、こう話す。
「厚労省はもっと早く寝場所を開放すべきだった。霞が関で働いていた人間として恥ずかしい。それだけでも言いに行こうと思った」
片山氏は念のため、事前に「上の人」に一本電話を入れた。伊藤氏は派遣村に相乗りする永田町の動きには「選挙前のパフォーマンス」と手厳しい。
先の毛利氏は、「労組や政党は、多様な人から成り立ち、中心のない新しい運動を取り込むのではなく、キチンと共闘できるかどうかが組織の存亡を占う」と言いつつ、こうも話す。
「派遣村がメディアに真正面から肯定的に取り上げられたことは画期的だが、見慣れた風景になれば、問題の風化を早めてしまうかもしれない」
元旦の「朝生」後、堀氏は湯浅氏に活動をいつまで続けるのか聞いた。
「5日までです」
引き際を決め込む様子に、堀氏は思わず唸ったという。
http://www.asahi.com/job/special/TKY200901210062.html
(2009/1/21/朝日新聞)