年越し派遣村:失業者ら「今日からが勝負」撤収作業開始
「年越し派遣村」移動式を終え、滞在場所となっていた講堂を出る人たち=厚労省で2009年1月5日午前11時35分、武市公孝撮影 東京・日比谷公園に昨年末出現した「年越し派遣村」には、約500人の労働者が入村し、1680人もの支援ボランティアが集まった。短期間で世間の注目を浴びた村の存在が浮き彫りにしたのは、底なしの雇用不安の実態と「働かされ方」の仕組みへの疑問だった。人災との指摘も出始めた「派遣切り」。村で同じ時間を共有した入村者やボランティアは何を感じたのか。【東海林智、工藤哲、町田徳丈】
実行委員会によると、5日も早朝から派遣村撤収の手伝いに100人を超えるボランティアが参加した。現場に寄せられた現金のカンパは5日までに2315万円に上った。
初日の先月31日から村に来た30代の男性は、11月中旬に電機部品の派遣労働を契約途中で切られ、仕事と寮を同時に失った。その後、手元に残っていた約15万円でネットカフェを転々としたが、金も体力も限界にきていた。男性は「自殺を考えていた時にネットで派遣村を知り、最後の望みをかけてここにきた」と語る。
派遣切りされた人の多くが、ネットカフェや野宿でその日をしのぎ、体調を崩していた。村の医療相談に訪れた人は100人を超え、救急車で搬送された人もいた。突然、仕事を切られる厳しさに対応できず、孤独の中で行くあてを失っているケースが多かった。男性は「いい年にするには今日からが勝負」と表情を引き締めた。
静岡県内の自動車関連工場で派遣社員として11月末まで働いていた男性(40)は「なんとか生き延びたというのが素直な気持ち」と胸をなでおろした。失業後、所持金がゼロに近づき、2日に村にたどり着いた。その夜は久しぶりに熟睡できたという。一方で仕事のあてがあるわけでもなく、今後の生活への不安はぬぐえない。「おれは絶対に立ち上がる」。男性は生活保護を申請し、自身の暮らしを再建するつもりだ。
◇25歳ボランティア「同世代多くショック」
ボランティアは高齢者から高校生まで幅広い年齢層が集まった。年金などで暮らす千葉県在住の女性(70)は「若い人がなんでこんなふうに使い捨てられるのかと、かわいそうで駆けつけた。若者に道を示すのは政治の責任だ」と語った。
テレビで村の様子を見て参加したという西東京市の堤明日香さん(25)は「年末年始は時間がある。自分はぬくぬくしていていいのか」との思いにかられたという。自分と同じ世代の若者が予想以上に多いことにショックを受けたが、「ありがたいです」と感謝されたことがうれしかった。
入村者の再就職用履歴書の写真撮影をした河村直樹さん(49)は「ここでは写真代すら高いと感じる人も多い。少しでも再就職に役立ててもらえれば」と数百枚の写真を無料で提供し続けた。
「仕事を決め、自分が支援する側に回りたい」。12月中旬に部品製造の仕事を切られ、住居を失った男性(36)は言った。日ごとに増えるボランティアに励まされてきた。「自分なんかもうダメだと思っていたけど、多くの人たちが自分たちのことを心配してくれていると感じ涙が出た」。男性はこの日、村に提供された食品関連の求人を頼りに面接に向かった。
毎日新聞 2009年1月5日 11時34分(最終更新 1月5日 12時54分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090105k0000e040050000c.html
(2009/1/5/毎日.jp)
(2009/1/6/留)
posted by 管理人B at 13:43| 東京 ☀|
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