●年末年始の年越し派遣村の活動の成果がわずかながら少しずつ出てきているようです。このような騒ぎがないと、国や地方自治体も重い腰をあげません。
リプラスが残念ながら破産してしまい、もやいに対する資金援助もできなくなってしまった状況でしたが、大成功という状況のように感じました。
こういった「年越し派遣村」のようなイベントとというかパフォーマンスは、普通の考え方や単なる善意だけの行為ではできず、湯浅誠 主宰を始めとする人の高い志や考え
そして、資金面や政治的なバックボーンが無ければ到底ここまではできません。
(以下参照)
【社会】
家がある…さあ再出発 派遣村『村民』の1カ月後
2009年2月2日 朝刊
年越し派遣村を通じて半年ぶりにアパートを借りられた男性。6畳間にまだ電灯はないが、就職活動ができる喜びから表情は明るい=東京都足立区で
職や住居を失った派遣労働者らを支援する「年越し派遣村」が、昨年大みそかに東京・日比谷公園に“開村”してから約一カ月が過ぎた。当初、約五百人を数えた「村民」は、半数余りが生活保護を受けて住居を確保。就職活動をしている。厳しい雇用情勢の中で、職はなかなか見つからないが、「職探しの際、住居があるのは大きい」と口をそろえる。再出発に向けて必死の毎日だ。 (菊谷隆文、出田阿生)
国が緊急雇用対策で用意した築四十年以上の雇用促進住宅。間取りは2Kだが、家賃は二万三千円と格安だ。早速、ハローワークへ通い、求人票を閲覧して窓口に相談する日々を送っている。
希望は年齢制限が緩やかなレストランのチェーン店。「近々三社の採用試験を受ける予定。私は製造業の請負派遣しか知らない。今度こそ、正社員になりたい」と力を込めた。
勤め先の倒産で失業し、漫画喫茶などを半年間泊まり歩いた男性(36)は、約一週間前に東京都足立区の家賃四万九千円のアパートに入居した。「住所ができて、やっと仕事を探せるようになった」と笑顔を見せた。
まだ照明器具を買っていないので、日が暮れると六畳間は暗くなる。カーテンや冷蔵庫、テレビもない。それでも「この部屋のおかげで正社員の就職試験が受けられる」。ハローワークに通い、三社に書類を送ったところだ。
派遣村で知り合った三人と、今でも連絡を取り合っている。一人は仕事が決まったが、また派遣労働者だと聞いた。
男性は「自分はやっぱり正社員になりたい。ただ、面接の連絡が来るまでは、つなぎで日雇い派遣をしておこうかと思う」と話し、会社からの連絡を待ちわびていた。
◆都内ホテル今も約30人 近く大半新居へ
「年越し派遣村」は、昨年十二月三十一日に開村。初日に約百三十人が集まり、その後もメディアで知った人などで約五百人に膨れ上がった。全国から約千七百人のボランティアも集結。過酷な派遣切りやホームレスの実態を世論に訴えた。
実行委の一人は「ホテルで暮らす人の大半は新居が決まり、大家さんの最終決定などを待っている状態。二月上旬になれば、ほとんどの人が引っ越していくと思う」と話す。
実行委員会には数人の“元村民”から就職が決まったとの連絡があった。その一方で、「希望の職種で正規採用されなかった」など就職活動の悩みに関する相談も寄せられているという。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009020202000051.html#print
(2009/2/2東京新聞)