リプラスは破産直前の代表取締役であった姜 裕文 氏が創業したものです。姜 氏は破産当時若干37歳の企業経営者としては若手と言える年齢です。姜 氏は不動産業としての従業員などの経験はありませんでしたが、「経営コンサルタント」としての経歴があり、主な経歴としてはBCG(ボストンコンサルティンググループ)などの歴任があります。
当初東京都港区の南青山で創業され不動産のアセットマネージメント部門(前名称は「ホフ部門」;スコットランド語で「住まい」)が事業として進められました。その後、賃貸保証をしている「東京賃貸保証株式会社」の急速な拡大に当時の経営者の経営手腕が追いつきませんでした。そこでリプラスが「東京賃貸保証」を吸収するという形で、2つの大きな柱であった「賃貸保証事業部(当時の名称は賃貸サポート事業部」で徐々に拡大していきました。
その後リプラスの拡大は不動産投資部門によって売買行為が倍々ゲームとなって利益拡大が加速し、ついに2004年12月に東京証券取引所のマザーズ部門への上場を果たしました。これは創業の2002年9月から見て史上最短とのことです。
不動産投資部門はリプラスの他に規模が大きいところは沢山ありますが、賃貸保証部門は破産前までは「業界最大手」といわれるところまできていました。
他にも賃貸保証を手がける企業は、日本賃貸保証株式会社、日本セーフティ、全保連など目ぼしい企業がございますが、不動産投資関連に比較して賃貸保証の市場はかなり小さいものなので、これらの企業にない部門(不動産投資部門)をリプラスはもっていたので、その両輪を活かし賃貸保証会社では最大手となるところまできました。
そのことから、リプラスの賃貸保証事業の強みはもう一つのドル箱と呼ばれる不動産投資部門を持っていたことに尽きます。不動産投資部門にとっても賃貸保証部門は、事業の性質上「日銭」が入るという特徴があり、他の企業にないこの2つの部門が互いに連携することによって、リプラスの急成長を果たしたともいえるのでしょう。公開された資料からして、不動産投資部門の利益がリプラスの利益を大きく占めるようになり、賃貸保証部門は本来手堅い事業で利益は特段に伸びない性質はあるものの、このような利益を増幅する仕組みであったために、賃貸保証部門はその利益を「先行投資」と言う形で人材・商品などの設備投資に回すことができたので、同業他社を圧倒するところまでくることができたのです。
したがってその時点では、不動産投資部門の利益に頼らざるを得ないということになっています。
しかし、ここ1年の不動産市場の急速な悪化、特に低所得者に対する住宅ローンの貸付(サブプライムローン)の急激な金利上昇に伴う債務不履行の続出が発端となり、関連企業の経営が著しく悪化した影響は大手証券会社はもちろん、不動産投資会社にも影響を出る形となりました。その対策としても銀行が貸し出しを引き締めるようなことまでせざるを得ない状況となりました。
その中のリプラスは、前記のように、創業からまだ6年と言える企業であり、経営構造が2つの事業の連携が他の企業にない画期的な利益構造だったため、それまで赤字のない年々利益倍増と言える経営内容であったこともありました。そのため、「守り」よりも「攻め」という強気の姿勢でこれを乗り切ろうとしていたのかもしれません。