2013年04月16日

三国連太郎さんが死去(90歳) 「飢餓海峡」「釣りバカ」名演技の個性派俳優〜テレビ・映画で大きく飾った芸能人

 俳優の三国連太郎さんが4月14日に亡くなりました90歳ということです。三國連太郎さんというと、90歳という年齢や芸能生活も非常に長いことから数々の有名作品に出演しているのですが、やはり「それは昔の事」という事が多いのでやはり「釣りバカ日誌」で連想される人が多いのだと思います。
 他の話等によると、特定の事務所等に所属しないで、フリーで映画会社や番組制作会社に渡り歩いたということなので、芸能界の中でも本当の「フリー」になります。
 人間の寿命もありそれなりの事もあるので、なんとも言えないのですが、90歳であれば、人間として長生きをされている部類にはいるのではないでしょうか。
 ご冥福をお祈りいたします。
 



三国連太郎さんが死去(90歳) 「飢餓海峡」「釣りバカ」名演技の個性派俳優〜テレビ・映画で大きく飾った芸能人



三国連太郎さん 女優、奈良岡朋子さん
2013.4.16 07:59

奈良岡朋子さん(栗橋隆悦撮影)

 ■強烈な印象と細やかさ…すてきな方でした

 映画「釣りバカ日誌」シリーズで三国さん演じる「スーさん」の妻役として長年共演した女優、奈良岡朋子さん(83)は15日、所属事務所を通じて次のような談話を発表した。



 
 今思えば「釣りバカ日誌20 ファイナル」でお別れしたきりでしたが、あれが本当のお別れだったのかと…。

 出会いはきっと映画の撮影所。戦後の新しいタイプのスターとしてデビューを飾った三国さんは、その日本人離れした風貌とともに、私に強烈な印象を残しました。

 初めての共演は大阪朝日放送のドラマ「戦国艶物語」だったと思います。三国さんは豊臣秀吉、私は北政所(きたのまんどころ)役で、3カ月くらいご一緒しました。その撮影の間に、若い頃のこと、戦争中のこと、色んな話を伺ったことが思い出されます。

 三国さんは若い頃から芝居の度に色々な工夫をされる方でしたから、ある日どこで調べたのか、秀吉は化粧をしていたと言って口紅を塗っていらしたこともありました。

 細やかな神経の持ち主で、すてきな方でした。それから何十年、最後の仕事は「釣りバカ日誌」シリーズでの夫婦役。三国さんとの撮影は全く芝居をしている感じがしないくらい、自然なやりとりでした。スーさんがいなくなってしまったのですね。これからは(長男の)佐藤浩市さんのお仕事を見続けながら私の中の三国さんを思い出すことでしょう。合掌。

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三国連太郎さんが死去 「飢餓海峡」「釣りバカ」名演技の個性派俳優 
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130416/ent13041608000004-n1.htm
(2013/4/16/MSN産経ニュース)



三国連太郎さんが死去 「飢餓海峡」「釣りバカ」名演技の個性派俳優
2013.4.15 11:28 [有名人の訃報]

死去した三国連太郎さん2009年12月、東京都港区赤坂(荻窪佳撮影)

 映画「飢餓海峡」や「釣りバカ日誌」シリーズなど、個性派俳優として活躍した三国連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄=さとう・まさお)さんが14日午前9時18分、急性呼吸不全のため東京都稲城市の病院で死去した。90歳。群馬県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男で俳優の佐藤浩市(さとう・こういち)さん。

 昭和26年に木下恵介監督「善魔」の主役に抜擢されてデビュー。迫力ある風貌で一気にスターになった。このときの役名がそのまま芸名になった。

 その後も演技派として活躍、水上勉さん原作、内田吐夢監督の「飢餓海峡」では次々に人を殺しながら逃げ延びる強盗殺人犯を演じて、名優の評価を確立。南の島で原始的生活を送る一族の主人に扮した今村昌平監督の「神々の深き欲望」も高く評価された。

 63年からの「釣りバカ日誌」シリーズでは、会社経営者の「スーさん」役で親しまれ、ユーモアたっぷりの演技で新境地を見せた。

 ほかに「ビルマの竪琴」「にっぽん泥棒物語」「戒厳令」「人間の約束」「利休」「息子」など多くの出演作と、数々の受賞歴がある。59年紫綬褒章、93年勲四等旭日小綬章。最近では平成23年、モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞した「わが母の記」に主人公の父親役で出演した。

 自らメガホンをとった「親鸞・白い道」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど、監督としても才能を発揮した。

 妻の友子さんによると、三国さんは亡くなる前日の13日夜まで食事も十分にとり、元気だった。その後、深夜から朝方にかけ2度嘔吐し、体温と血圧が低下。友子さんが病院まで駆けつけた直後に息を引き取った。亡くなる2日前、ふいに「港に行かなくちゃ。船が出てしまう」と口走っていたという。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130415/ent13041511290004-n1.htm
(2013/4/15/MSN産経ニュース)




数々の伝説…「怪優」三国連太郎さん死去
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10年2月 ブルーリボン賞授賞式で、釣りバカ日誌で特別賞を受賞した三国連太郎さん
 俳優三国連太郎(みくに・れんたろう)さん(本名・佐藤政雄)が14日午前9時18分、急性呼吸不全のため、東京・稲城市の病院で死去した。90歳。役作りに徹する「名優」と知られ、鬼気迫る演技で「怪優」とも呼ばれたが、「釣りバカ日誌」シリーズでは、釣りに魅せられる社長スーさんをコミカルに演じ、代表作の1つにした。葬儀は密葬で執り行われ、後日お別れの会が開かれる。喪主は俳優の長男・佐藤浩市(さとう・こういち)。

 複数の関係者によると、三国さんはここ数年、入退院を繰り返し、昨春からは継続して入院していたという。長い病院暮らしで背中を痛めて歩行困難に。リハビリの日々だったというが、妻友子さんによると、亡くなる前日の13日までは元気で、夕食も十分にとったという。しかし、同日深夜から朝方にかけ、2度嘔吐(おうと)して体温と血圧が低下。友子さんが病院に駆け付けた直後に息を引き取った。亡くなる2日前、ふいに「港に行かなくちゃ。船が出てしまう」と口走ったという。

 佐藤も最期をみとれなかった。一夜明けたこの日、都内で取材に応じ、「(朝方の)嘔吐から2時間ほどで亡くなり、あまり苦しまなかったようです」と父の最期を説明した。「死に顔は凜(りん)としていて威厳があって、不思議な感慨がありました」。三国さんは日ごろから「戒名はいらない。散骨してほしい。誰にも知らせず密葬で」と話していたという。

 遺作は昨年公開された映画「わが母の記」で、主人公の父親を演じた。物語前半で亡くなるが、寝たままの演技でも、三国さんの存在感は際立っていた。

 主役でも脇役でも、徹底した役作りをすることで知られ、数々の行動は「三国伝説」とも呼ばれた。57年「異母兄弟」出演の際には、老け顔に見せるため、上の前歯すべてを抜いてしまったこともある。

 10代で工員や船員、映画館の看板描きなどさまざまな職業を経験した。中国で終戦を迎え、抑留生活後に22歳で帰国。戦後、闇商売に手を出したこともあるという。俳優になったきっかけは、松竹のオーディション。木下恵介監督の目に留まり重要な役をつかんだ。三国連太郎というのは、デビュー作「善魔」で演じた新聞記者の役名。苦労を重ねたからこそチャンスには貪欲で、芝居への執念につながった。

 素顔は照れ屋で不器用だった。「釣りバカ日誌」シリーズでは、無口な三国さんに代わって共演の西田敏行が話すこともあった。私生活では4度の結婚。結婚には至らなかったが、太地喜和子さんとの熱愛、同居が話題になった。結婚生活や恋愛関係の破綻は、役者道を追求するあまり、家庭や恋人を顧みられなくなったからともいわれる。

 その生きざまは闘病中も変わらなかった。友子さんによると、病室の机の引き出しから「過ぎた日は再び迎えられない。演技もまったく同じである」など、演技論を書いたメモが見つかったという。2〜3年前のもので、昨年5月ごろ、病状が悪化した時に書いた「ついに終末の刻(とき)に逐(お)い詰められたようだ。どう闘って生きるか? 連」という走り書きも残されていたという。

 佐藤によると、三国さんは「三国連太郎のまま逝く」と言っていた。「役者・三国連太郎」を貫き通し、闘い続けた人生だった。

<三国さん伝説>

 ◆「異母兄弟」(57年) 一回り上の田中絹代と激しいラブシーンがあった。年齢差の違和感を感じさせないよう上の歯を抜いて老け顔になった。友人の西村晃さんに「おまえは本当にバカじゃねえか。抜いちゃったらもう生えてこないぞ」と言われたが、「どうせいつか抜け落ちてしまうもの。それなら、ちょっと早くてもいいやって」と決断。

 ◆「夜の鼓」(58年) 有馬稲子を殴るシーンで、本当に殴って失神させた。有馬から「芝居に見えてしまうから、本当に殴って」と言われたためだが、役者バカと言われた。

 ◆「宮本武蔵」(61年) 沢庵和尚を演じ、一晩中部屋の中で待つ場面で、内田吐夢監督に相談なく、小便に行く場面を付け加え、監督を激怒させた。

 ◆「狼と豚と人間」(64年) 深作欣二監督と口論になり、スタッフを上野駅前で一日中待たせた。

 06年8月13日付の日刊スポーツ芸能面「日曜日のヒーロー」で、これらの伝説について聞かれた三国さんは「伝説というのはたいてい虚飾にまみれておりますが、今、尋ねられたものは珍しく事実ばかりです」と笑った。

 [2013年4月16日7時7分 紙面から]



【芸能】三国さん役者人生変えた「釣りバカ日誌」(2013年4月16日)
【芸能】佐藤浩市、涙こらえ「そりゃひどい父」(2013年4月16日)
【芸能】伝説は真実/三国さんインタビュー2(2013年4月15日)
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130416-1113021.html
(2013/4/16/日刊スポーツ)




三國連太郎

この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。その人物の死の詳細や取り巻く環境また状況が知れ渡っていくに従い、この項目の内容もまた急速に大きく変化することがありますのでご注意ください。2013年4月15日 (月) 02:25 (UTC)貼付。(表示終了予定:2013年4月22日 (月) 02:25 (UTC))

みくに れんたろう
三國 連太郎

1950年代ごろ
本名 佐藤 政雄
生年月日 1923年1月20日
没年月日 2013年4月14日(満90歳没)
出生地  日本 群馬県太田市
死没地  日本 東京都稲城市
国籍  日本
血液型 AB型
職業 俳優
ジャンル 映画・テレビドラマ、舞台
活動期間 1950年 - 2013年
家族 佐藤浩市(長男)
主な作品
『釣りバカ日誌』シリーズ 、『ビルマの竪琴』、『飢餓海峡』、『にっぽん泥棒物語』、『利休』、『息子』、『襤褸の旗』
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三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年1月20日 - 2013年4月14日[1])は日本の俳優。本名は佐藤 政雄(さとう まさお)。群馬県太田市生まれ。身長181cm、体重75kg[2]。


来歴・人物 [編集]

母親は16歳で一家が離散し広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した[3]。たまたま静岡県沼津駅で知り合った父親となる人物の仕事先だった群馬県太田市で結婚し三國が生まれた。このため三國は私生児となる。この育ての父親は電気工事の渡り職人で、三國が生後7か月のとき、一家で父親の故郷・静岡県西伊豆に戻った。その後、三國は旧制豆陽中学を二年で中退するまで土肥町(現在の伊豆市)で育った[4][5]。中学時代は水泳部。下田港から密航を企て青島に渡り、その後釜山で弁当売りをし、帰国後は大阪でさまざまな職に就く[6]。
1943年12月、20歳の三國は大阪で働いていたが、徴兵検査の通知が来て故郷の伊豆に戻り、甲種合格後、実家へ戻った[7]。すると「おまえもいろいろ親不孝を重ねたが、これで天子様にご奉公ができる。とても名誉なことだ」という母の手紙が来た。自分に赤紙(召集令状)が来たことを知った三國は、「戦争に行きたくない。戦争に行けば殺されるかもしれない。死にたくない。何とか逃げよう」と考え、同居していた女性とすぐに郷里の静岡とは反対の西へ向かう貨物列車に潜り込んで逃亡を図った。逃亡四日目に無賃乗車で乗り継いで山口県まで来たとき、母に「ぼくは逃げる。どうしても生きなきゃならんから」と手紙を書いた。親や弟、妹に迷惑がかかることを詫び、九州から朝鮮を経て中国大陸へ行くことも書きそえた。数日後、佐賀県の唐津呼子で船の段取りをつけていたところで憲兵に捕まり連れ戻された[6]。しかし処罰は受けず、皆と同様に赤ダスキを掛けさせられて、静岡の連隊に入れられた。中国へ出征する前、最後の面会にやってきた母が「きついかもしれんが一家が生きていくためだ。涙をのんで、戦争に行ってもらわなきゃいかん」と言ったとき、三國は母親が家のために黙って戦争に行くことを息子に強要し、逃亡先からの手紙を憲兵隊に差し出したことを知る。家族が村八分になるのを恐れ涙を呑んでの決断だったという[6]。中国大陸の前線へ送られた三國の部隊は総勢千数百人だったが、生きて再び祖国の土を踏めたのは二、三十人にすぎなかった。戦地へ向かう途中、三國は身体を壊し、熱病にかかる。十日間意識不明になり、死んだものだと思われて、工場の隅でむしろをかぶせられて放置されていたが、焼き場に運ばれいざ焼く番になってむしろを剥がしたら目を覚ましたという。漢口の兵器勤務課に配属されてこの部隊で終戦を迎えた[8]。
敗戦時、三國は収容所に入れられ、独自に作った化粧品などを売って過ごした。中国からの復員の際に、妻帯者は早く帰国できるということで、同じ佐藤姓の女性と偽装結婚している。佐世保から広島を経て大阪に戻り、多種多様な職業についた[9]。なお復員時に鉄道で広島駅へ達した際には、駅から四国が望まれ、原子爆弾の脅威を知る。
1948年、女児を身ごもっていた妻と離婚。鳥取県倉吉市へ行き、近くの三朝温泉へ行ったとき、戦争中に満蒙開拓団に関係していた人と知り合いになり、その紹介で県農業会(のちの農業協同組合)に入り、当時の長だった岩本氏の秘書を務めながら農村工業課を新設、サツマイモの澱粉からグルコースを採取する仕事を指導する。


映画『戦国無頼』(ポスター)での三國(右中)
宮崎交通を経て、1950年に東銀座を歩いていたところ松竹のプロデューサー小出孝にスカウトされ、松竹大船撮影所に演技研究生として入る。スカウト時には、プロデューサーの「大船のスタジオにカメラテストに来てくれないか」との言葉に、「電車代と飯代を出してくれるなら」と答えたと三國本人が述懐している[10]。1951年、木下恵介監督『善魔』に、レッドパージで出演取り止めとなった岡田英次の代役としてデビュー、役名の「三國連太郎」を芸名にする。翌年、稲垣浩監督『戦国無頼』への出演を希望し、東宝に移籍。しかし、1954年、稲垣監督『一乗寺の決闘』撮影開始直前に映画製作を再開した日活に走り、「五社協定違反者第1号」となる。大船撮影所の門扉に「犬・猫・三國、入るべからず」との看板が取り付けられたという[11]。木下惠介の勧めで3か月ほど俳優座に通った。
以後、『ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『ひかりごけ』(1992年)など社会派作品から、『未完の対局』(1982年)、『三たびの海峡』(1995年)、『大河の一滴』(2001年)など中国を中心にした国際合作、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)などの娯楽大作まで、主演・助演を問わず幅広く出演。カリスマ的役柄で、圧倒的存在感をスクリーンに残す。1984年には紫綬褒章を受章。1986年には映画『親鸞・白い道』[12]を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1993年には、勲四等旭日小綬章を受章した。1968年には自ら映画会社APCを設立。
いわゆる役者バカであり、怪優・奇人とも称される。家城巳代治監督『異母兄弟』(1957年)において、老人役の役作りのため上下の歯を10本抜いたエピソードはよく知られている。これについては、「夫婦役の田中絹代とどう見ても夫婦に見えないことに悩んだ末のことだ」と三國本人が述懐している(腫れた三國の顔を見て「おやまぁ」と田中が一言、その日は撮影しなかったという)[11]。特に、粗暴な人物役を抱えた時期の三國はプライベートでも役にハマりこんでしまい、他人が近づきがたい状態になっていることがたびたびであった。テレビドラマ『支払い過ぎた縁談』(1965年、関西テレビ)の撮影において、浮浪者の心理を探るため、荒んだ格好でカップルを脅したことがあり、交番に駆け込まれて逮捕されそうになったという。レイプシーンなどでも、リハーサルから本気で暴行することで知られ、親しい女優でさえおびえたという。


映画『自分の穴の中で』(ポスター)での三國(左)
結婚を4度経験。俳優の佐藤浩市は3番目の妻との間にできた息子である。その他にも太地喜和子、石田えりらとのロマンスが取り沙汰され、奔放な女性関係で知られた。太地と出会った時は19歳と41歳という22歳の年の差にも関わらず大恋愛に発展。太地の実家に挨拶に行き「10年経ったらせがれが自立できるようになるので、結婚させてほしい」と申し出、そのまま実家で同棲を開始するも3ヶ月目に「疲れた」という置き手紙を残して太地の元を去った。別れの10年後、太地との誌上対談にて、太地の「三國さんはどうしてあのとき、喜和子から逃げ出したんですか。」という問いに対し、「10年目にして率直に言うけど…あなたの体にひれ伏すことがイヤだった。僕は臆病者ですから、のめり込む危険を絶対に避けたかったんです。」と答えている[13]。また、その後、1981年6月の『週刊読売』のインタビューでは「今までで、惹かれた女優さんは一人だけです。太地喜和子さんだけです。ぼくは、男に影響を与える女の人が好きです。」と答えている。[14]
近年では『釣りバカ日誌』シリーズ(1988年 - 2009年)で活躍。スーさんの愛称で親しまれている。だが本人は釣りが嫌いだと言う。子どもの頃は全く魚が釣れず、更に餌のミミズに触るのが嫌だったからであり、劇中でも浜崎伝助(西田敏行)の様には釣れていない。また初期には作品としての『釣りバカ日誌』に対して評価は低く、インタビューなどでしばしば「昔の義理で出演している」と語っていた。最終作となった『釣りバカ日誌20 ファイナル』の会見では「混迷の映画界の中で暗中模索した冒険のような作品[15]」「スタッフの作品作りに対する情熱は日本映画史に永遠に残る[15]」「僕にとって生涯の仕事だった[16]」と語るなど総じて高評価であり、心情の変化が見うけられる。『釣りバカ日誌』シリーズで第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞。
『人間の約束』で息子・佐藤とワンシーンのみの初共演を果たした後、『美味しんぼ』で本格的に親子の役を演じる。『笑っていいとも』に出演した際に「佐藤浩市くんの演技がよかったです」とコメントしている。
2012年9月には、同年春から首都圏近郊の療養型病院に入院していることが報じられた[17]。一方2012年9月13日号の『週刊文春』では、老人ホームで暮らしていることが報じられた。
2013年4月14日、東京都稲城市の病院で死去。満90歳没(享年91)。[1]生前は浄土真宗の熱心な門徒として知られていたが、一方、「戒名はいらない。三國連太郎のままでいく」と話していたという。[18]
逸話 [編集]

最終学歴は豆陽中学校(旧制中学校)中退であるが、[要出典]映画界入りに際して「旧制静岡高等学校を経て大阪帝国大学工学部卒(もしくは東京帝国大学卒)」と詐称。のちに芸能ジャーナリズムにそのことを暴かれたことがある [要高次出典] [19]。
電気職人だった養父が被差別部落の出身であることを公表しており、差別問題に関する著作、講演活動等も行っている。養父との関係は良く、母親よりも養父のことが好きだとインタビューで述べている[20]。
戦争体験の話でよく話している、戦後すぐ故郷静岡に帰る途中に、広島で途中下車し、原爆で焼け野原になった広島の街の光景を見たという話[21]だが、何故、広島で途中下車したかについては公の場では話さない。戦争中、全国の大半の兵隊は広島の宇品港から外地へ送られたが、三國も出征の前日、死地へおもむく前に、女性を一度でいいから抱いてみたいと広島市内の遊郭で筆下ろしをした。三國はこの遊女が忘れられず、「どんな卑怯なふるまいをしてもいい、どんな恥をうけても生きて還りたい。もう一度あの女を抱きたい」と心の中で誓い、帰還して実はこの女を探すため、まっすぐ広島へ向かったのである。この話は三國の著書『わが煩悩の火はもえて 親鸞へいたる道』や『生きざま 死にざま』にも書かれているほか、かつて『中国新聞』の原爆特集で話したことがある[22][23]。
徴兵忌避中に同行した女性の実家が岡山にあり、広島で下車後、岡山に立ち寄った。彼女には既に子供がいたため、三國は声をかけずに立ち去ったという[24]。
短小、包茎に対して大きなコンプレックスを抱えており、映画『襤褸の旗』(1974年)で共演した西田敏行によると、役者仲間が風呂に入っているとブリーフをはいたままで三國が風呂へ入ってきた。西田が「あれ? パンツは脱がないんですか?」って聞いたところ、「芸術家はポコチンが小さいからね」返答。それを聞いた草野大悟は「俺、デケえなあ。芸術家じゃねえんだ」と呟いた[25]。また、対談集『三国連太郎おんな探求―異色対談』の中で、自身が「短小、包茎、早漏」ということを何度も語っている。
写真集は、『Ciger 三國連太郎』(撮影沢渡朔、パルコ、1998年)、『貌 三國連太郎』(撮影市原基、第三書館、2003年)、『三國連太郎の器』(撮影信太一高、双葉社、2010年)がある。
静岡県沼津市在住だったことがあり、沼津市の観光大使(キャンペーン隊)である「燦々ぬまづ大使」に通算6回に渡り選ばれている。
出演作品 [編集]

映画 [編集]
善魔(1951年、松竹) - 三國連太郎 役
稲妻草紙(1951年、松竹) - 船来源三郎 役
戦国無頼(1952年、東宝)
美女と盗賊(1952年、大映)
太平洋の鷲(1953年、東宝)
さらばラバウル(1954年、東宝)
泥だらけの青春(1954年、日活)
宮本武蔵(1954年、東宝)
警察日記(1955年、日活)
あした来る人(1955年、日活)
ビルマの竪琴 第一部(1956年、日活) - 井上隊長 役
ビルマの竪琴 第二部(1956年、日活 - 井上隊長 役
死の十字路 (1956年、日活)
異母兄弟(1957年、独立映画)
鷲と鷹(1957年、日活) - 佐々木 役
美徳のよろめき(1957年、日活)
風と女と旅鴉(1958年、東映)
夜の鼓(1958年、現代ぷろだくしょん)
荷車の歌(1959年、全国農村映画協会) - 茂市 役
キクとイサム(1959年、松竹)
大いなる旅路(1960年、東映) - 岩見浩造 役
大いなる驀進(1960年、東映) - 松崎義人 役
宮本武蔵 5部作(1961年 - 、東映) - 沢庵宗彭 役
飼育(1961年、大宝) - 鷹野一正 役
はだかっ子(1961年、東映) - 尾沢おじさん 役
破戒(1962年、大映)
切腹(1962年、松竹) - 斉藤勘解由 役
暗黒街最後の日 東映東京1962.10.12
無宿人別帳(1963年、松竹) - 新平 役
無法松の一生(1963年、東映) - 無法松/富島松五郎 役
陸軍残虐物語(1963年、東映)
越後つついし親不知(1964年、東映)
怪談(1965年、文芸プロダクションにんじんくらぶ) - 武士 役
飢餓海峡(1965年、東映)
にっぽん泥棒物語(1965年、東映)
脅迫(1966年、東映)
処刑の島(1966年、大映)
座頭市牢破り(1967年、大映)
神々の深き欲望(1968年、日活)
新選組(1969年、東宝) - 芹沢鴨 役
野獣都市(1970年、東宝)
戦争と人間 第一部 運命の序曲(1970年、日活)
戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河(1971年、日活)
内海の輪(1971年、松竹) - 西田慶太郎 役
甦える大地(1971年、石原プロ / 松竹)
座頭市御用旅(1972年、東宝)
約束(1972年、斎藤プロ / 松竹)
海軍特別年少兵(1972年、東宝)
戒厳令(1973年、ATG) - 北一輝 役
卑弥呼(1974年 ATG)- ナシメ 役 
襤褸の旗(1974年)- 田中正造 役
わが青春のとき(1975年、大映)
金環蝕(1975年、東宝)
はだしのゲン(1976年、現代ぷろだくしょん)
犬神家の一族(1976年、東宝))- 犬神佐兵衛 役
八甲田山(1977年、東宝) - 山田少佐 役
霧の旗(1977年、東宝) - 大塚欽三 役
皇帝のいない八月(1978年、松竹) - 江見為一郎 役
野性の証明(1978年、東映) - 大場一成 役
復讐するは我にあり(1979年、松竹)
あゝ野麦峠(1979年、東宝)
ミスター・ミセス・ミス・ロンリー(1980年、ATG)
ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年、東映)
セーラー服と機関銃(1981年、東映)
未完の対局(1982年、東宝)
彩り河(1984年、松竹) - 下田忠雄 役
人間の約束(1986年、東宝東和)
マルサの女2(1988年、東宝) - 鬼沢鉄平 役
嵐が丘(1988年、西友・西武メゾングループMEDIACTUEL) - 東の荘高丸 役
釣りバカ日誌シリーズ(1988年 - 2009年、松竹) - 鈴木一之助(スーさん) 役
利休(1989年、松竹) - 千利休 役
息子(1991年、松竹)
豪姫(1992年、松竹 / 勅使河原プロ / テレビ朝日)
ひかりごけ(1992年、ヘラルド・エース)
勝利者たち(1992年、円谷プロ / 東宝)
大病人(1993年、東宝)
夏の庭 The Friends(1994年、ヘラルド・エース)
三たびの海峡(1995年、松竹)
美味しんぼ(1996年、松竹) - 海原雄山 役
生きたい(1999年、日本ヘラルド映画)
虹の岬(1999年、東北新社 / 東宝)
大河の一滴(2001年、東宝)
北辰斜にさすところ(2007年、東京テアトル)
大鹿村騒動記(2011年、東映)
わが母の記(2012年)
監督作品 [編集]
岸のない河(未完)(1972年、自主制作) - 製作・監督・主演。37年のブランクを経て、完成を目指す姿を追ったドキュメンタリーが放送された[26]。
親鸞 白い道(1987年、松竹) - 原作・企画・脚本・監督。
テレビドラマ [編集]
どたんば(1956年、NHK)
太陽の子(1961年、NET)
お気に召すまま(1962年、NET)第3話「天才の秘密」
東芝日曜劇場(TBS)
第377回「橋の下」(1964年、中部日本放送)
第685回「偽りの季節」(1970年、朝日放送)
第762回「あの町この町」(1971年、朝日放送)
第1315回「先斗町袋小路」(1982年、毎日放送)
第1629回「今日の日をこそ」(1988年)
徳川家康(1964年、NET)
松本清張シリーズ(1965年 - 1966年、関西テレビ)
剣(1967年、日本テレビ)
戦国艶物語(淀君編)(1969年、ABC)- 豊臣秀吉 役
霧の旗(1969年、フジテレビ) - 大塚欽三 役
わが父北斎(1970年、毎日放送)
必殺仕掛人 第6話「消す顔消される顔」(1972年、朝日放送) - 文殊屋多左衛門 役
別れの午後(1973年、TBS)
切腹団十郎(1974年、毎日放送)
青銅の花びら(1975年、毎日放送)
赤い運命(1976年、TBS)
ご存知!女ねずみ小僧(1977年、フジテレビ) - 浮右衛門(男ねずみ) 役
土曜ワイド劇場(テレビ朝日)
「逃亡 雪原の銃声」(1978年)
「京都殺人案内4」(1981年、朝日放送)
「鏡の中の未亡人」(1984年)
「松本清張の高台の家」(1985年) - 深良英之輔 役
家族熱(1978年、TBS)
人はそれをスキャンダルという(1978年 - 1979年、大映テレビ / TBS)
火宅の人(1979年、日本テレビ)
額田女王(1980年、朝日放送)- 中臣鎌足 役
赤い死線(1980年、TBS)
87分署シリーズ・裸の街(1980年、フジテレビ)
木曜ゴールデンドラマ(読売テレビ)
「五辮の椿・復讐に燃える女の怨念」(1981年)
「父と娘 空白の18年・無期刑の殺人犯、いま仮釈放…」(1983年)
「赤い絆」(1984年、福岡放送)
「妻に捧げる」(1990年)
闇を斬れ(1981年、フジテレビ) - 田沼意次 役
関ヶ原(1981年、TBS) - 本多正信 役
松本清張の黒革の手帖(1982年、テレビ朝日) - 楢林謙治 役
リラックス〜松原克己の日常生活(1982年、関西テレビ)
女たちの大坂城(1983年、YTV)- 豊臣秀吉 役
月曜ワイド劇場(テレビ朝日)
「ザ・スキャンダル」(1983年)
火曜サスペンス劇場(日本テレビ)
「愛しき妻よさらば」(1983年)
「死者からの手紙」(1985年)
時代劇スペシャル 子連れ狼(1984年、フジテレビ) - 柳生烈堂 役
ヨコハマ物語(1985年、日本テレビ)
庄内おんな風土記(1988年、NHK)
冬の旅〜ベルリン物語〜(1991年、NHK)
月曜ドラマスペシャル(TBS)
「ボディガード北へ」(1994年、北海道放送) 
ふたりでタンゴを(1999年、NHK)
新幹線をつくった男たち(2004年、テレビ東京)
恍惚の人(2006年、日本テレビ)
松本喜三郎一家物語 〜おじいさんの台所〜(2007年、フジテレビ)
探そう!ニッポン人の忘れ物「ハッピーバースデー」(2009年、フジテレビ)
鬼平犯科帳スペシャル 一寸の虫(2011年、フジテレビ) - 船影の忠兵衛 役
ゲーム [編集]
玉繭物語(1998年) - 予言者・ギ 役
ドキュメンタリー [編集]
遠くへ行きたい(1987年5月、よみうりテレビ)
いのちの響(1995年放送分、TBS)
知るを楽しむ「人生の歩き方『三國連太郎・虚と実を生きる』」(2009年、NHK) - インタビュー
ノンフィクションW「幻の映画『岸のない河』監督・三國連太郎の再生」(2009年10月12日、WOWOW)
NHKスペシャル「ふしぎがり〜まど・みちお 百歳の詩〜」(2010年1月30日、NHK)- 朗読
CM [編集]
薩摩酒造(1988年)
皇潤(2010年)
脚注 [編集]

^ a b “俳優の三国連太郎さん死去 90歳”. 日刊スポーツ 2013年4月15日閲覧。
^ Yahoo! 人物名鑑
^ NEWSポストセブン|三國連太郎 よく殴る父親から逃げるため「家出を繰り返した」
『あの日あの時母の顔 - 私の母語り』 小学館 1996年 218頁
^ 『三國連太郎・沖浦和光対談 上 浮世の虚と実』 (12-15頁、解放出版社 1997年)、ちくま文庫で再刊、2005年。
^ 『あの日あの時母の顔 - 私の母語り』 212、213頁
^ a b c 追悼・三國連太郎さん:徴兵忌避の信念を貫いた(特集ワイド「この人と」1999年8月掲載)毎日jp(毎日新聞) 2013年04月15日
^ 梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』120頁(角川書店、2009年)
^ 梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』125頁(角川2009)
^ 梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』130-134頁(角川2009)
^ 『週刊ポスト』2008年10月31日号
^ a b NHK『こころの遺伝子 〜あなたがいたから〜』2010年3月29日放送分。『三國連太郎の「あなたがいたから」』(主婦と生活社、2011年2月)で書籍化。
^ 関連著書に『白い道 法然・親鸞とその時代』(毎日新聞社ほか)、『親鸞』(法蔵館、1987年)、『親鸞に至る道』(光文社知恵の森文庫で再刊、2010年)がある
^ 『三国連太郎 続・おんな対談「いま語る激しく燃えたあなたとの3ヶ月」』 - 『アサヒ芸能』連載 1973年11月1日
^ 『もう一度逢いたい! 日本人が愛した女優伝説』 テレビ東京 2009年12月11日放送
^ a b “「釣りバカ日誌」西田、三國が万感の思いを語る…20作目で終了を松竹が公式に発表!”. シネマトゥデイ 2009年11月16日閲覧。
^ “三国心筋梗塞危機「釣りバカ」に救われた”. asahi.com 2009年11月16日閲覧。
^ “三國連太郎“療養型病院”に入院!一時“寝たきり”も回復”. zakzak 2013年1月8日閲覧。
^ “三國さんと佐藤浩市、「役者」でつながった父子”. sanspo.com 2013年4月15日閲覧。
^ 猪俣勝人・田山力哉『日本映画俳優全史 男優編』(現代教養文庫、1977年)
^ 梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』146頁(角川2009)
^ 芸能人インタビュー|連載コラム|はいからOnline、緒形直人、40歳で挑戦した高校生役は「ほとんどバカ」 ニュース-ORICON 、『北辰斜にさすところ』完成披露試写会 舞台挨拶、革新懇インタビュー三国連太郎さん - 針谷みきおの一言、三國連太郎 - あやめ池学園南 九条の会 - 奈良から憲法九条を守ろう
^ 三國連太郎『わが煩悩の火はもえて 親鸞へいたる道』、87-92頁(光文社、1984年)、のち光文社知恵の森文庫。
^ 三國連太郎『生きざま 死にざま』、173-176頁(KKロングセラーズ、2006年)。
^ 梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』134頁(角川2009)
^ 雑誌「GQ」吉田豪による西田敏行インタビューより
^ ノンフィクションW『幻の映画「岸のない河」監督・三國連太郎の再生』WOWOW 2009年10月12日放送
外部リンク [編集]

三國連太郎 日本映画データベース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%80%A3%E5%A4%AA%E9%83%8E
(2013/4/16 現在 wikipedhia)



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