2013年05月07日

訃報:中坊公平氏 83歳=元日本弁護士連合会会長〜豊田商事・住専・森永ヒ素ミルク事件などの処理で有名。

 住専(住宅金融専門会社)の債権回収や豊田商事事件・森永ヒ素ミルク事件などで大きな活躍を見せた弁護士の中坊公平氏がお亡くなりになりました。83歳という事です。

 住専は不良債権の回収のトップということで社長としての活動、豊田商事事件は破産管財人として、森永ヒ素事件は被害者の会(被害者弁護団の弁護団長)としての活躍でしたが、「徹底的にやる」というのが他の弁護士と大きな違いを見せていたのかとの印象をもちます。

 しかし、「弁護士」という職業は「正義」とか「弱者を守る」という目的である「聖職者」と言えるものなのですが、やはり普通の企業(法人や個人であろうと)同様、「営利」を目的としたことを前提としているのが本当の姿です。
 ですから、「弁護士」が「ボランティア」で何かをやるからには、何か金銭に替わる「代替物」が必ずついてまわることが絶対条件になっているはずなのです。それが「政界への進出」なのかもしれないし、なにか企業を起こすための宣伝なのかもしれません。「例外」というものはありません。

 さらに「無理」な業務を行ってしまえばちょっとした粗相があってもそれが致命的な結果へ導かれてしまうリスクも大大的に発生する可能性を秘めています。それが弁護士登録の抹消となった住専の不適切な回収だったのかと思います。
 
 今の弁護士と昭和の時代から平成の入り口までの弁護士の生活様式や待遇などは、色々な司法制度改革などで大きく様変わりをし、高収入の代表選手となっていた職業ではなくなってきています。
 
 今弁護士になったばかりの人に、中坊公平氏のような弁護士がどのように映っているのか気になるところです。

 ご冥福をお祈り致します。

 
訃報:中坊公平氏 83歳=元日本弁護士連合会会長〜豊田商事・住専・森永ヒ素ミルク事件などの処理で有名。


訃報:中坊公平氏 83歳=元日本弁護士連合会会長
毎日新聞 2013年05月06日 大阪朝刊

 一方、中坊さんは1996年7月、住宅金融債権管理機構の初代社長に就任。旧住宅金融専門会社の不良債権回収を陣頭指揮した。「民間の金融機関が起こした不始末のつけが、これ以上、国民の財政負担とならないように」との信念からだった。しかし、02年10月、同機構社長時代に行った不適切な債権回収を巡り、大阪市の不動産会社から詐欺容疑で告発され、東京地検特捜部の事情聴取を受けたことで03年10月、弁護士を廃業する意向を表明。その後、起訴猶予処分となった。05年11月、弁護士登録が抹消された。07年3月に再び弁護士登録を大阪弁護士会に請求したが、同年7月に取り下げた。


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訃報:中坊公平さん83歳=元日本弁護士連合会会長 (05月05日 20時27分)
http://mainichi.jp/area/news/20130506ddn001060004000c2.html
(2013/5/6/毎日新聞)


中坊公平氏死去:前日本弁護士連合会会長、宇都宮健児弁護士の話
毎日新聞 2013年05月06日 大阪朝刊

 ◇一つの目標だった−−豊田商事事件の被害者救済活動に一緒に取り組んだ前日本弁護士連合会会長、宇都宮健児弁護士の話

 85年に中坊さんに頼まれて豊田商事事件の被害者救済活動に携わるようになった。非常に行動力がある優れた弁護士で、一つの目標だった。被害者救済にかける情熱が強く、学ぶところが多かった。毎年冬に贈られてくる塩ザケに手紙が添えられ、ここ数年は体調が優れないことが書かれていた。今年2月ごろに届いた手紙は「自分なりに日々穏やかに過ごしている」という内容で、差し迫った感じではなかった。残念だ。
http://mainichi.jp/area/news/20130506ddn041040013000c.html
(2013/5/6/毎日新聞)



中坊公平氏死去:「平成の鬼平」 弱者に寄り添い
毎日新聞 2013年05月06日 東京朝刊

 「平成の鬼平」の異名を取った元日本弁護士連合会会長の中坊公平さんが亡くなった。「弱い者が強い者と戦って自信を取り戻すことが大切」が信念。森永ヒ素ミルク事件や豊田商事事件で見せた弱者救済の姿勢は高く評価されているが、批判も相半ばした。

 1955年の森永事件発生当時、ミルクには種別があった。高い製品にはヒ素が入っておらず、ある親は「安物を買った自分たちが悪かった」と悔やんだ。これを聞いた時の「裁判にどれだけの意味があるのか」との思いが「原点」だった。

 森永ヒ素ミルク中毒事件資料館(岡山市)の岡崎久弥館長は「被害者支援には感謝する」と話す。ただ近年、著書などで「被害者は(補償した)森永乳業に感謝している」と受け取れる発言をすることがあったといい、「被害者感情を逆なでする発言で、批判は多い」とも指摘する。

 住宅金融債権管理機構社長時代は無給で債権回収に奔走する姿が称賛され、98年には野党の「首相候補」に。一方で、2000年には内閣特別顧問に就任し「権力へのすり寄り」との批判も浴びた。

 関係者によると05年に心臓手術を受けた。「世間の人に忘れてもらうことでほっとする生活の寂しさも味わっています」。知人宛ての05年秋の手紙にはそう書かれていた。

 豊田商事事件の被害者救済に携わった前日弁連会長の宇都宮健児弁護士(66)は「非常に行動力があり優れた弁護士で、一つの目標だった」と悼んだ。
http://mainichi.jp/select/news/20130506ddm041040119000c.html
(2013/5/6/毎日新聞)

訃報:中坊公平さん83歳=元日本弁護士連合会会長
毎日新聞 2013年05月05日 20時27分(最終更新 05月05日 23時50分)


中坊公平さん
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 森永ヒ素ミルク中毒などで被害者救済に尽力し、住宅金融債権管理機構(後に整理回収機構に統合)の初代社長を務めたほか、裁判員制度実現など司法改革を推進した元日本弁護士連合会会長、中坊公平(なかぼう・こうへい)さんが3日、心不全のため京都市内の病院で死去した。83歳。葬儀は5日、近親者で営んだ。喪主は妻淳子(じゅんこ)さん。

 京都市生まれ。1957年に弁護士登録。84年に大阪弁護士会会長、90年4月から2年間、日弁連会長を務めた。

 森永乳業徳島工場製の粉ミルクで55年に西日本の乳幼児約1万3000人がヒ素中毒となった事件で、被害者側弁護団長に就任。被害救済を求めた裁判で森永の加害責任を認めさせ、73年12月、和解に導いた。

 日弁連会長時代には、容疑者段階から弁護人を付ける当番弁護士制度を実現。市民の司法参加も進めた。

 96年7月、住宅金融債権管理機構の初代社長に就任。旧住宅金融専門会社の不良債権回収を陣頭指揮したが、不適切な債権回収を巡って詐欺容疑で告発(後に起訴猶予)された。東京地検特捜部の事情聴取を受け、2003年10月、弁護士廃業の意向を表明した。
http://mainichi.jp/select/news/20130506k0000m040032000c.html
(2013/5/5/毎日新聞)



評伝:中坊公平氏死去 流し続けた涙
毎日新聞 2013年05月06日 東京朝刊

 何度、涙を見ただろうか。中坊公平さんは森永ヒ素ミルク事件被害者の訪問体験を語る時、いつも涙ぐんだ。

 母親はヒ素入りミルクを飲ませた自分を責め、その子は、母が教えたこともない「あほう」という言葉を投げかけられ、覚え込んでしまった。社会の冷たさと弱者の痛み。「原点」と呼んだ体験が40代からの半生を貫いた。

 「強きをくじき」という言葉が好きだった。少年時代の自分を「落ちこぼれ」と呼び、弱者の側に立つよう努めてきた。

 90年代初めに日弁連会長として旗を振った司法改革の運動が裁判員制度の導入などで現実化しつつある。しかし、会長当時は、改革に消極的とみた最高裁や法務省を相手に「喧嘩(けんか)中坊」を自らの看板にした。

 会長退任後、存在がクローズアップされたのは、住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理と香川県・豊島(てしま)の産業廃棄物処理に対するボランティア的な活動だった。豊島の産廃問題では香川県など行政当局に見放された住民に、自ら立ち上がらなければ権力機構は動かないと説き続け、先頭に立った。「観客民主主義」を批判し、自ら血を流す覚悟を求めた言葉は、説得力に富む。

 揮毫(きごう)を求められれば、「現場に神宿る」と書いた。毎日新聞の「開かれた新聞」委員会の委員も務め、メディアに対して「常に時代の斥候(せっこう)たれ」と注文をつけた。ここでも現場取材の大切さを強調し、辛口の紙面批評を展開した。

 強烈な個性ゆえに、毀誉褒貶(きよほうへん)は避けられなかった。弁護士を廃業し、晩年は京都の自宅で「忍辱の日々」と表現する生活だった。しかし腎臓の透析を受けつつ、淳子夫人との生活を大切にし、「世の中で一番価値のあるものは、想(おも)い出」と書き残した。最後にお目にかかった昨年10月にもご夫婦でもてなしていただいた。

 合掌。【元毎日新聞司法キャップ・高尾義彦】
http://mainichi.jp/select/news/20130506ddm041040192000c.html
(2013/5/6/毎日新聞)


中坊公平氏が死去…元日弁連会長・元RCC社長

 日本弁護士連合会(日弁連)会長や整理回収機構(RCC)社長などを務めた元弁護士の中坊公平(なかぼう・こうへい)氏(京都市東山区)が3日午前8時5分、心不全のため入院先の病院で亡くなった。83歳だった。


 葬儀は5日、近親者で済ませた。喪主は妻、淳子(じゅんこ)さん。

 京都府出身。京都大法学部卒業後、1957年に弁護士登録。70年代は、粉ミルクを飲んだ乳幼児が死亡するなどした「森永ヒ素ミルク中毒事件」の弁護団長として、被害者救済に取り組んだ。

 84年に大阪弁護士会会長に就任し、85年以降、豊田商事の巨額詐欺事件の破産管財人として被害者を支援。90年から2年間、日弁連会長を務めた後、産業廃棄物の不法投棄に苦しむ香川県・豊島てしまで、弁護団長として原状回復を求める島民を支えた。

 96年、旧住宅金融専門会社(住専)の不良債権を回収する住宅金融債権管理機構(後のRCC)初代社長に就任。「国民に二次負担をかけない」をスローガンに陣頭指揮を執り、「平成の鬼平」と呼ばれた。しかし、2000年に不適切な債権回収が発覚し、東京地検特捜部の取り調べを受けた。その後不起訴となったが、社会的責任を取る形で05年に弁護士を廃業。最近は、公の場に姿を見せることはほとんどなかった。

(2013年5月6日00時09分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130505-OYT1T00435.htm
(2013/5/6/読売新聞)


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posted by 管理人B at 02:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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