2008年の年末から2009年の年始にかけて日本中が話題となり、その後社会問題の解決の起爆剤ともなった日比谷公園でおこなわれた「年越し派遣村」の村長及び「特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい」の事務局長でもある湯浅誠 氏が内閣官房社会的包摂推進室長を退任という運びとなりました。
現在は2012年3月ですから、早いもので2009年1月の年越し派遣村実施から3年と2カ月が経っています。リーマンショック(ここではそれよりは「リプラスショック〜リプラスの倒産(破産)」といった方がいいのかもしれません)の発端であった2008年9月からも3年と6カ月が経っています。
湯浅氏の行っている活動は、NPO活動(任意団体・サークル活動も含む)やボランティア活動ともいわれ、一応「慈善事業」ともなっています。しかし、「慈善事業」とはいえ、全くの「奉仕」活動でNPO活動をすることはできません。
やはりそれなりの「生活の糧」を最低限確保したうえでの活動をしていかなくては、こういった活動には無理が生じてしまいます。
その生活の糧のサイクルをしっかりと確立しながら、NPO活動の成果を顕著に挙げている人の1人が「湯浅誠」氏なのだと思います。
今多くのNPO団体が「資金難」になっており、自分の生活を犠牲(自己負担)をしている活動団体も少なくありません。こういう活動をみてみると、まず「自分自身」がしっかりとしていかなければ他を助けることはできないという事をひしひしと感じます。それゆえに、企業で利益を多く出している会社経営者が「社会貢献」ということで、会社の事業利益の一部をNPO団体に寄付したり、もしくは自分自身でNPO団体を設立したりする傾向もやはりしばしば見られます。
「企業」というのも「利潤追及」が当然の基本ですが、そこには、「社会に役立てた」報酬が利益として還元されます。
そのように考えると、「企業」も「NPO」も考え方においては、重なった部分が多くあり、その境目は曖昧な部分が当然でてきます。
とにかく言えることは、「自分がしっかりして、はじめて社会(他人)に貢献ができる」それが社会への貢献活動の条件だと思います。
政府に入ってのそこでの活動も大きく進展してきていることも事実なのだと思いますが、湯浅氏には、別の目論見があり、それを実現するには、自分自身で独立した考え方(政府・特定政治の関連に関わらない)が必要なのだと考えているのだと思います。
今後の展開に期待したく思います。
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